当事務所は、世代もタイプも異なるバラエティに富んだ4名の弁護士が在籍する共同事務所です。
そんな4名のプロフィールをはじめ、仕事に対する想い、思い出に残る事件等々をご紹介します。

林田 賢一

林田 賢一

堀 良一

堀 良一

井上 滋子

井上 滋子

吉村 真吾

吉村 真吾

 

林田 賢一

(宮崎県日向市出身)

Kenichi Hayashida

36周年を間近にして

私の手元に、1984年9月14日発行の福岡東部法律事務所ニュース創刊号があります。

いま読み返すと、少々気恥ずかしいような、気負いと意気込みにあふれた文章が並んでいます。

表題は、「地域の民主的発展と権利擁護をめざして」(事務所開設にあたって)というもので、その書き出しは、次のとおりです。

「これまで法律事務所といえば、裁判所の近くに事務所を構え、敷居の高いところ、というイメージがあったと思います。

私達の事務所は、まさにそのイメージを逆転させたところから出発しました。裁判所よりは住民の近くに!そして気がるに出入りできるところに!」

“あれから36年”(きみまろ的な表現ですが)、魅力あふれる弁護士・事務局が次々と入所し、現在弁護士4名・事務局4名の法律事務所となっています。

私達をこの間支えていただいた地域の皆さまに、心から感謝を申し上げます。

36年の間に、私たちが取り組んだ事件は、博多湾東部埋立やまちづくり条例運動、香椎操車場跡地の開発問題、地域の革新懇や平和運動、住民運動、カネミ・空港騒音等の公害問題、豊田商事事件・先物取引・コンビニフランチャイズ・クレサラ等の消費者問題、労働問題、ハンセン病・薬害肝炎問題、有明・諫早干拓問題等々、全国的にも大きな意義を持つものも多数ありました。

36周年を迎え、私達の法律事務所の基本的性格である

⑴ 民主的法律事務所であること

⑵ 地域の法律事務所であること

⑶ 共同事務所であること

という原点に立ち返り、さらに一層地域の皆さまに信頼される弁護士活動を進めていきたいと、所員一同決意しています。

今後とも宜しくお願いします。

 

堀 良一

(大分県別府市出身)

Ryoichi Hori

有明、思い出、環境問題

あと、何人自殺したら、工事ば止めてくれるとですか!
意見陳述の最後に、もうすぐ還暦を迎えようかという初老の漁民は、日に焼けた赤銅色の顔をこわばらせ、裁判官席をみすえながら、張り詰めた緊張感を振り払うように叫んだ。諫早湾干拓事業の工事差し止め仮処分決定が出る直前の佐賀地裁の法廷での一コマである。
293枚の鉄板が不気味な機械音をきしらせながら海中に落下して諫早湾干拓事業の潮受堤防を閉め切ったのは1997年4月のことだ。そして、魚や貝がいなくなった。ひどい赤潮が発生してノリがだめに なった。長崎、佐賀、福岡、熊本の有明海沿岸4県にわたる大規模な漁業被害をもたらせた深刻な環境破壊は「有明海異変」と呼ばれ、多くの漁民が不漁に苦しんで自殺し、漁業を基盤にする地域社会は壊滅的な打撃を受けた。
そんななか、裁判をするので、弁護団の事務局長を引き受けないかとの声がかかったのは2002年秋のことだ。博多湾埋立反対の住民運動や裁判にたずさわり、全国の湿地や海の自然環境を守る活動に参加していたから、おまえが適任だというのだ。荷が重いと尻込みしたが、気がついたら、よみがえれ!有明訴訟の代理人席に座っていた。
そして、工事中止の歴史的仮処分決定、高裁でのまさかの逆転敗訴、厭戦気分漂うなかで漁民原告の大量追加提訴による反転攻勢、研究者と漁民の集中尋問、昨年6月の佐賀地裁開門判決、波状的な国会行動、農水省前での早朝宣伝、息詰まるような法廷外での攻防。時代を象徴する社会的紛争を解決するには、ここまでというエネルギーの限界値はない。
弁護団には、若くて優秀な弁護士がたくさん損得勘定なしのボランティアで参加していて、勉強にもなる。何よりも小気味いい。ここには掛け値なしに最高の良心と英知が結集している。
子供の頃、別府の田舎で、浜辺を走り回ったり、雑木林に紛れ込んだりしながら、小エビやセミやトンボを追いかけていた思い出を引きずっていたら、いつのまにか、環境問題の最前線に立っていた。

 

井上 滋子

(福岡県福岡市出身)

Shigeko Inoue

思い出の判決

私が福岡東部法律事務所に入って、もう20年以上が経ちました。

思い出の一つに、生活保護制度をめぐって争った学資保険裁判があります。

生活保護を受けている病弱な両親が、家計を切りつめ、子どもの高校進学に備えて毎月3千円の学資保険を掛けていました。保険満期金約40万円がおりて、まさに高校進学に使おうとした時、それは蓄えだから生活費にあてなさい、その分の生活保護費を減額しますという処分を受けました。生活保護費を削られては、この進学費用を切り崩して使うしかない。無念の思いの両親が異議を申立てました。しかし思い半ばで両親とも他界し、子どもたちが引き継いで裁判を起こしました。

裁判では、生活保護法の解釈として間違った処分だ、憲法25条の生存権や26条の教育を受ける権利にも反していると主張しました。ところが、第一審判決は敗訴。なぜ当然のことがとおらないのだ!

弁護団は裁判所へ不当性を訴えると同時に、もう一度、事実をよく見つめ直しました。今は亡き両親の思いを裁判所に伝え切れていただろうかと。

母親が掛けていたのは、2人の子どもに1口だけの大学進学コースの学資保険でした。下の子の妊娠が分かった頃に掛け始められた保険でした。上の子に掛けた保険は、下の子がちょうど高校進学を迎えたときに満期になる。苦しい生活の中で身ごもった母親が、どんな思いをこの一つの学資保険に託していたのか。資料を改めて見る中で、日々の生活を送り、子どもを育ててきた母の思いを感じていました。

第二審の高等裁判所での判決の日。「逆転勝訴」の垂れ幕を持って、原告と一緒に走り出ました。その時の晴れがましい原告の顔が忘れられません。この判決後、制度改正がされて高校就学費用自体が生活保護費から支給されるようになり、大きな実を結びました。

事件の背景には、人の思いがあり、たくさんの人生がある。当然の事ですが、法律だけを読んでいるとつい見過ごしがちになります。生活者ひとりひとりの思いを受けとめながら、法律という手段を使って役に立てる弁護士になりたい、そういう思いを強くした思い出の事件です。

 

吉村 真吾

(熊本県熊本市出身)

Shingo Yoshimura

地域の弁護士として

1974年、熊本市生まれ。九州大学農学部出身。

包装資材メーカー勤務を経て、弁護士に。

2006年、弁護士登録。福岡東部法律事務所に入所。

 

大学では理系の学部に所属していましたが、会社員として勤務している中で弁護士になろうと思い立ち、27歳から司法試験の勉強を始めました。

弁護士になってからは、交通事故、不当解雇、残業代請求、債務整理、離婚、相続など、地域の皆さんの法律問題の解決に取り組んでいます。

また、全国的な問題についての裁判や専門的な内容の裁判として、土地区画整理事業に関する裁判、コンビニ・フランチャイズ契約に関する裁判、国立大学法人の労働関係に関する裁判、集団予防接種によるB型肝炎被害に関する裁判などに関わってきました。

現在は、子ども食堂の立ち上げに取り組んでいます。